周りの人と比べると、勉強ができない…
友達には彼女がいるのに、僕にはできない…
誰よりも運動オンチだ…
あなたも、何かしらの劣等感を持っていないでしょうか?
きっと、生まれてから劣等感を感じたことがないなんて人はいないでしょう。
オータニにも、劣等感を感じることがありました。
それは、163センチという身長です。これは男性の平均身長を7センチ以上も下回っている数値なんですよね。
そのせいで(?)、女性に自分から告白した経験が一切ありません。。。なぜなら、身長の低い自分なんかが告白しても、嫌われてしまうのがオチだと感じていたからです。
しかし、アドラー心理学と出会ってからは、身長をコンプレックスに感じてはいません。
むしろ、今ではこの163センチという身長に感謝をしているくらいです。
では、オータニは、アドラー心理学と出会って、どのように考え方が変化したのでしょうか?
というわけで本日は、
- 劣等感とは
- 3つのコンプレックスとは
- 劣等感を克服する方法
というテーマでブログを執筆していこうと思います。
目次
劣等感とは:アドラー心理学
自分が他者よりも劣っていると感じること
※この「感じる」というところが重要
たとえば、オータニの身長は163センチなのですが、これにより「他の男性よりも劣っている…」とただ感じているだけ。
これはまさに劣等感と言えるでしょう。
コンプレックスとは
コンプレックス(complex)は、日本語に訳すと「複雑な」などの意味合いがあります。
現代では、劣等感とコンプレックスは同義語で使われていますが、実際には全く違う言葉なのです。
たとえば、「マザーコンプレックス」「シスターコンプレックス」というのは、「親近間を過剰に好きになるという複雑な状態」をさしているわけです。
これを見ても、分かる通り、劣等感とコンプレックスは全く別の概念ということが分かりますね。
劣等性とは
他者よりも、事実として劣っていること
※この「事実として」というところが重要
たとえば、オータニの身長は163センチですが、平均身長が170センチだった場合、事実として7センチ低いわけです。
つまり、これは日本の「平均身長」という視点から見た時、「劣等性」となります。
他にも、生まれつき目が見えない、事故で下半身付随である、などをアドラー は「器官劣等性」と表現しています。
劣等感と劣等性の違い:アドラー心理学
では、これら2つの概念についてまとめましょう。
- 劣等感=主観的な解釈
- 劣等性=客観的な事実
では、これも身長を使って説明しましょう。
つまり、「身長が163センチ」というのは平均身長から見た時に事実として低いわけなので、劣等性となります。
一方、この身長に対して「他者よりも劣っている…」と感じることは劣等感なわけです。
このように、劣等感は、劣等性に与える意味によって変化するのです。
例:オータニが「身長」に与えた意味
では、なぜオータニは、昔と比べて、身長に対してコンプレックスを抱かなくなったのでしょうか?
結論、「身長163センチ」という「劣等性」に与える意味を変えたからです。
オータニは、3年ほど営業をしていたのですが、5ヶ月目にトップセールスとなることができました。
その時に、同僚に言われた一言がいまだに忘れることができません。
その言葉がこちら。
オータニは、その身長だから、売れるんだよ!
例:営業と身長
身長が高いと、お客様に無意識の圧力がかかるので、脅威感情を持たれやすく、それが不成約に繋がることは多々あります。
しかし、オータニは、この低い身長であるがゆえに、相手に安心感を与えることができる。つまり、営業でも有利に働くのです。
この瞬間、「身長163センチという身長」に劣等感を感じることはなくなりました。今では「誇るべき武器」として考えるまでになったのです。
我々は主観的な世界に生きている
これを見ても分かるとおり、我々は客観的な世界に生きているわけではありません。
自らが意味づけを施した主観的な世界に生きていると言えるでしょう。
たとえば、自分の身長に対して「劣っている」と感じれば、毎日は暗いものになります。
しかし、「身長が低いということは素敵なことなんだ!」と感じることができれば、毎日は明るいものに変化します。
何度もいいますが、世界は「あなたが世界にどのような意味づけを施すか?」で幸福にも不幸にもなり得るということなのです。
劣等感は素晴らしい感情:アドラー心理学
劣等感とは、我々が平等に持つ生得的感情です。
では、なぜ我々は劣等感なんて持って生まれてくるのでしょうか?
劣等感=成長の促進剤
結論、成長するためです。
我々が「歩けるようになったり、言葉を話せるようになったり」するのは、劣等感という感情を持っているおかげなのです。
たとえば、生まれてすぐの赤ちゃんは、周りの大人たちが、移動したいところに移動し、食べたいものを食べ、会話を楽む姿を目にします。
しかし、赤ちゃんは彼らと同じことをしようとしても、物理的にできません。
その時、赤ちゃんは大きな劣等感に苦しみます。「なんで周りの人たちと同じようにできないんだ!」と。
つまり、劣等感とは、成長するための促進剤として働いているのです。
劣等感が強い人の4つの特徴:アドラー心理学
ここまでの内容で、「劣等感それ自体は特に問題ない感情」ということは理解してもらえたのではないでしょうか?
ではここからは、劣等感を抱えている人たちが、どのような特徴を持っているのかについて解説していこうと思います。
結論、全部で4つのコンプレックス(複雑)を抱えています。
- 劣等コンプレックス
- 優越コンプレックス
- 不幸自慢
- メサイアコンプレックス
1:劣等コンプレックス
劣等感を言い訳にすること
※劣等感が「複雑な」状態として使われるという意味で、このように名付けられました
例:身長と恋愛
たとえば、「身長が低くて男として魅力がないから、告白をしない…」というのは、まさに劣等コンプレックスの典型例です。
本来は「身長が低いこと」と「好きな異性と付き合えるかどうか」にはなんの関係もないにも関わらず、それに無理やり意味を持たせるのです。
このように意味を持たせることで、告白する勇気を振り絞らなくて済むし、ふられた時のショックを受けなくて済むからです。
2:優越コンプレックス
劣等感を隠すために、ことさらに強さをアピールすること
※優越性が「複雑な」状態として使われるという意味で、このように名付けられました
例:ブランドものに身を包むのは
たとえば、あなたの周りでよく自慢話をする人はいませんか?
実は、自慢話をする人たちの多くは、何かしらの劣等感を抱えており、それを周りに知られないようにしていることがほとんど。
他にも、ブリンブリンのネックレス、ブランドものに身を包む人たちがいますが、彼らは美的センスで身につけているというよりは、劣等感を包み隠すためにやっていることがほとんど。
本当のお金持ちって劣等感がないので、逆にユニクロなどの質が高くて安価な服を好んだりするものです。
3:不幸自慢
自分が不幸であることをことさらにアピールすること
不幸によって、特別になれる
たとえば、あなたの友達が失恋のショックで落ち込んでいたとする。
そこであなたは「大丈夫?」と救いの手を差し伸べますが、「私の何が分かるの!」と怒り散らす人っていますよね?
しかし、これは友達の計画通りなんですよね。
(理性によって意図しているかは分かりませんが)
なぜなら、自分が不幸であることを周りにアピールすることで、周りから特別に扱ってもらおうとしているからです。
不幸な人を見ると周りは、まるで腫れ物に触るかのように大事に扱ってくれるようになりますからね。
このように、自分の劣等感をことさらにアピールすることで、特別に扱ってもらおうとするのです。
4:メサイアコンプレックス
劣等感を隠すために、過剰に救世主的な振る舞いをすること
※“救う”という行為が「複雑な」状態として使われるという意味で、このように名付けられました
例:お節介の正体
たとえば、お節介レベルで、他者のことを助けようとするひとっていませんか?
それは、他者を助けることで、救世主的な立場にり、周りから特別な存在として扱ってもらうためです。
たとえば、「すごいね!」「えらいね!」などと言われることで、自分の存在価値を実感しようとするのです。
これだけ見ると、一見素晴らしいことのように思えますが、
彼らは他者からの称賛などがなくなれば、それに憤慨したり、悲しみくれたりすることになるので、他者に依存する人生を送ることになります。
「健全な劣等感」と「不健康な劣等感」の違い
では、ここからは「健康な劣等感」と「不健康な劣等感」の違いについてそれぞれ解説していきます。
不健康な劣等感とは
他者との比較によるもの
では、なぜ他者との比較による劣等感が不健康だと言えるでしょうか?
競争が悩みへ
結論、他者と比較することで、競争に身を置くことになるからです。
たとえば、あなたがサッカーをしているとする。そして、あなたにはどうしても抜かしたいAというライバルがいます。
Aは、センスがありいつもチームメートから必要とされており、頼り甲斐がある人間です。
もしも、あなたが不健康な劣等感を持っているのであれば、彼の全ての行動・活躍が気に入らず、
彼の幸福はあなたにとっての不幸、彼の不幸はあなたにとっての幸福という考え方をするようになります。
さらに、自宅にいる時も、Aのことばかり考え、心が休まる暇がありません。
このように、他者と比較することで、その相手を「敵」として見るようになり、悩み多き不幸な人生を歩むことに繋がるのです。
健康な劣等感とは
将来の自分との比較によるもの
では、なぜ他者との比較による劣等感が健康的だと言えるでしょうか?
将来の自分は「敵」ではない
結論、将来の自分は、あなた自身であり、あなたを脅かす「敵」ではないからです。
たとえば、「営業成績を上げたい!」と思う時、多くの人はライバルという名の「敵」と比べてしまいます。
だから、「〇〇よりも100万円も売上が低いんだ!!!」とそれが悩みとなってしまい、
もしも、「敵」が病気で倒れようものなら、「よっしゃ!!!」と他者の不幸を喜ぶような人間となってしまいます。
もちろん、「敵」が会社で表象されようものなら、あなたは頭をかきむしるほどにネガティブな感情を抱くでしょう。
しかし、他者と比較することなく、将来の自分との比較には、「敵」は存在せず、仮に目標達成できなかったとしても、それは自らの改善へとつながります。
本来「自分の売上」と「他者の売上」とはなんの関係もありません。
たとえば、「来月はハワイに旅行にいきたいから、今月は頑張るぞ!」という目標を掲げる時、そこに他者の存在は必要ありません。
なので、もしも今、不健康な劣等感をもち、それに悩まされているのであれば、劣等感への考え方を改めてみてはいかがでしょうか?
おすすめ図書
まとめ:アドラー心理学の劣等感
では最後にまとめましょう。
本日は、
- 劣等感とは
- 3つのコンプレックスとは
- 劣等感を克服する方法
というテーマでブログを執筆しました。
劣等感それ自体は素晴らしいもので、それに対してネガティブな感情を持つ必要はありませんが、
劣等感についての理解をしていないと、それを人生を逃げるために使われたり、不幸な人生を送ることに繋がってしまいます。
なので、この記事を何度も読んで、劣等感としっかり向き合えるようにしてもらえればと思います。